沿革史

外観

太光寺について

 行者山太光寺は、広島市西区田方1丁目の行者山を境内として建立された天台宗系の単立寺院です。
 伝承によると応永年間(約600年前)に、中国から慈眼禅師という僧侶が来日し、この地に逗留して庵を結んだことが当山の嚆矢とされています。残念ながら記録に残っていませんが、いつの頃からか当山には修験道の開祖である役行者を祀った「行者堂」が建立され、爾来、地域の人々から「行者山」と呼ばれて深く信仰されてきました。
 その後、当山は第二次大戦の戦禍や、近年の火災により行者堂を失うなど多くの法難に見舞われることになりました。それでも、有縁の方々による御遺訓を得て、有志者が世界平和のために新寺建立を発願されたことが、当山に大きな「機縁」をもたらしました。
 時代は平成となり、同14年に古江中央霊園の運営が始まると、そのことが端緒となって当山は多くの実業界の方々から篤信の恩恵を受けることになりました。そして、翌15年には天台宗系の単立寺院として活動することに結び付きました。
さらに、平成20年には太光寺の大本堂・御本坊・和気殿が改修・新築されるに及び、現在の寺院としての伽藍を新たに整えることができました。

 なお、太光寺が大切としている理念の中で、最も代表的なものは
・世界平和を尊重すること
・慈しみの教えを学ぶこと
・地球環境を保全すること
・真の心の人を育てること
であります。

 もちろん太光寺は歴史の浅い寺院であり、これからの時代に法灯を護持していくため、新しい理念を掲げておりますが、その教えの根本精神は、日本仏教の祖である伝教大師最澄によって開創された天台仏教の教えに立脚しています。よって、当山に奉職する僧侶は天台宗の僧籍を有して、教化活動に日々精進しております。

行者山について

 その昔、この行者山の山下に位置する古江と草津は深い入り江で、天然の良港を形成していました。特に草津港には、神功皇后が朝鮮征伐(百済救済)のために船団を集結させたという伝承が残っており、軍(いくさ)港であった時期に軍津(いくさつ)と呼ばれていたものが変化して、現在の「草津(くさつ)」という名称になったともいわれています。
 その際、神功皇后は今の草津八幡神社の境内を仮皇居として、軍勢の弓箭(弓矢)の演習を行ったことから、現在の「行者山」は、古くは「力箭山(りきせんやま)」と呼称されていたとも伝えられています。
 その後、役行者を祀る行者堂が建立され「力箭山」は「行者山(ぎょうじゃやま)」と呼ばれるようになりました。この行者山の地名は、昭和期に開通した「行者山トンネル」など、地域の方々に親しまれて、今日に至っております。
 現在の行者山は、南に瀬戸内海、東に広島市街、そして西に宮島を一望できる景観を保ち、四季折々の自然に触れながら貴重な命に感謝して、過去・現在・未来のことについて考える聖地として佇んでいます。